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波治加麻神社【はじかまじんじゃ】

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最終更新日:平成27年(2015)3月24日

波治加麻神社 波治加麻神社 波治加麻神社 波治加麻神社

所在地:泉津木出場

都道を泉津集落から大島公園へ向かう途中、山側へ曲がる道がある。その道を上ると波治加麻神社の鳥居が見えてくる。延喜式(1)(905年編纂開始)の神名帳(2)に、波浮の波布比咩命はぶひめのみこと神社、野増の阿治古あじこ神社(後の大宮神社)と共に波知はち神社として載っており、旧郷社の中の一つである。ここの地名を波治ヶ間または八ヶ間と称している。三宅記(3)によると大明神が諸龍王に命じて島々を焼出させ、その三番目の島を大島と名づけ、五人の后の一人を大島に置いた。はぶの大后が波布比咩命神社の祭神、そして二人の王子の太郎王子(阿治古命)は大宮神社、次郎王子(波治命)が波治加麻両神社の祭神であるという。参道には杉が林立して陽光をさえぎり、緑の杉苔が絨毯のように本殿へと続いている。本殿の周囲は深山を思わせる静寂さで、神秘的な雰囲気を漂わせている。本殿は昭和に入り造営されたもので間口が約1.2m、奥行き約1.1m、拝殿(4)は間口が約3.7m、奥行き約3.6mで本殿と拝殿との間に幣殿(5)がある。本殿の右奥と左奥に石祠がある。左側の石祠は歯の神様とされており、右側について詳細は不明である。

  • (1)「延喜式」は全50巻から成る律令の施行細則を記載した書物。巻9・10が神名帳といわれている。
  • (2) 神名帳は、祭祀を行う対象の神社を一覧表にしたものであり、ここに記載されているということは延喜式の完成時に神社が存在していたことになる。
  • (3) お伽草子と軌を一にするもので、その成立年代は室町時代の永享2~文明2(1430~1470)年頃と推定されているが 、前田本には文明13(1481)年とある。物語は仏や菩薩が仮に神の姿となって衆生を済度するというもの。
  • (4) 神社で、本殿の前に設けられた礼拝を行うための建物のこと。
  • (5) 参詣者が幣帛(6) (へいはく)をささげる社殿。拝殿と本殿との中間にある。
  • (6) 神前に供える物の総称。

お問い合わせ

教育庁大島出張所
電話:04992-2-4451 ファクシミリ:04992-2-3902
メール:S9000007(at)section.metro.tokyo.jp
迷惑メール対策のため、メールアドレスの表記を一部変更しております。
お手数ですが、メール送信の際は(at)を@に置き換えてご利用ください。

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